言葉のストックが失われていく
「表現したい」という衝動に駆られるときがある。
それは誰かのライブを観ているときであったり、イベントに行ったときであったり、惹きつけられる写真をみたときであったり、はたまた何もせずぼーっと天井を眺めているときであったりする。
しかし「表現する」といっても、何を?どこに?どういった形で?
表現したい欲は日々募っても、"何を"表現したいという明確なものを、今のわたしは持っていない。
ここ1、2年で語彙力がずいぶん低下したように思う。
語彙力が低下するということは使える言葉が減っていくということ、すなわち何かを表現するとき、自分の思考を表に出すときに、選択できる言葉が減っていくということだ。
何かを見て何かを感じてもそれを表現するのはありきたりな言葉になり、ひとに正しく伝わらなくなり、表現することをあきらめてしまい、使われなくなった言葉たちは自分の中から消えていく。その繰り返しで、どんどん言葉のストックがなくなっていく。
語彙が減っていくのは単純に本を読まなくなったからか、スマホばかりで自分でじっくり思考する時間が減ったからか、それともこころが大人になり、表現したいことや使う言葉を選ぶようになったからか。
前のわたしはもっと言葉を自由に扱えていた気がする。
もっとじっくり考える時間を取っていたし、言葉をインプットする時間もあったし、アウトプットする時間もたっぷりあったから。
それがいまや、窮屈でせまいせまい世界に閉じ込められたように感じられて、言葉を手から取りこぼしていくことに不安を感じているばっかりだ。
本を読めばいいのか、スマホを手放せばいいのか、人と話せばいいのか、何をすれば失った言葉たちを取り戻せるのかもわからない。ただ暗い中に立ってるだけ。
言葉と言うのはそう簡単に蓄積されるものでもないから、たかが一日二日インプットを増やしたところでそれは薄くて軽いままで、そのあと何もしなければ風に飛ばされて消えていく。言葉のストックは一向に戻らない。
言葉をぽろぽろと取りこぼしていく不安のなかに立ちすくみながら、今日もぼんやりと日々を消費していく。
どうすればいいんだろう。
形にならない心の声はだれにも認識されず、だれにも届かない。